無観客開催
近代オリンピック史上、前代未聞の1年延期が決定されただけではなく、競技場に観客をいれずに開催することが決定されました。開催の延期で膨らんだ1兆数千億円規模の運営費を賄うために、追加の協賛金を募っていた組織委員会としては、観戦収入まで失うことになり、苦渋の決断だったと思います。しかし、当時の新型コロナウィルス感染症の蔓延状況を考えると、「延期」どころか「中止」の懸念もあったため、見えない大きな圧力に屈した形になったと感じました。個人的には、それなりに混雑している地下鉄で通勤し、それなりに混雑しているスーパーマーケットやショッピングモールで感じる感染リスクと、スポーツ観戦のそれとは、感染のメカニズムを考えたとき、大きな違いはないのではないかとも思いましたが、非常事態下では、理屈だけでは理解できない力学が働くものです。開催の延期とは違った動揺が組織員会内に走りました。
何はともあれ、観客用のインフラ工事は全面ストップ、それまで周到に準備をしていた観客用の輸送計画や、盛り上げイベント、広告、飲食サービスなど、ことごとくキャンセルになり、組織委員会の部署ごと消滅しました。当初、8万人枠で募集したボランティアのうち、大多数は観客誘導等に割り当てられるはずだったのですが、ボランティア活動自体が消滅してしまい、他の役割や新たに作られた役割に振り替えられたりしました。
個人的には、運よく当選していたチケットが10競技位あったのですが、全て無駄になってしまい、とても残念でした。特にパラリンピックの開会式に当選しており、自分は仕事で観戦できないとしても、1964年の東京オリンピックを生で観戦できなかった両親にプレゼントしようと思っていましたが、その願いも叶いませんでした。