Tsunashima Blog
この記、なんの記、気になる記

人生に失敗はない。あるとすれば、失敗を恐れて、挑戦しないこと。
だからこのブログは、成功談というよりも、失敗談になるハズ・・・

東京2020オリンピック・パラリンピック物語 期待編 01

ガイドアスリートとしてパラリンピックを目指す

東京2020大会を意識したのは、2015年頃でした。その頃は、まさか大会組織委員会の職員として関わることになるのは思いもよらなかったけど。

ある木曜日の朝、恵比寿にあるプールで仕事前にスイムの練習会に参加したら、コーチが声をかけてきて、週末のトライアスロン(WSC横浜大会)に出場する視覚障がい者の伴走役を捜しているという。自分は1カ月前に出場したアイアンマンに向けて練習を積んで体はできていたので、気楽に「いいよ」と答えた。翌日、網膜色素変性症のブラインドアスリートと初対面し、タンデムバイクで試走した。自分が前に乗り、何とか真っすぐに走れるようになったが、コーナーが怖くて体重移動ができない。加えて前後2人のペダルが連動しているので、片方のペダルを止めると、もう一人も止めなくてはならない。そこで、曲がる前、「右90度カーブまで、あと5秒・・・3、2、1、ち~~~」とかなんとか、声を掛け合うことにした。「ち~~~」は、ペダルを止めるぞ、という合図。

そして、付け焼刃で臨んだ本番・・・ものの見事に撃沈。スイムは長さ1メートルのロープでお互いの腿を結んで、健常者が方向を修正しながら泳ぐのだけれど、息継ぎのタイミングがずれると、水をがぶがぶ飲み、溺れそうになった。でもそれが初めての国際レース。翌日、一般の部としてもエントリーしていたので、連日の出場という前代未聞の挑戦だったが、なんと優勝っ!出場者は5人(5組)だったので、前日の反省を踏まえて、ガツガツ行くのではなく、ライバルのペースを見ながらゴール前でかわすという作戦が的中。なんとなく手ごたえを感じ、出場者数も少なかったので、もしかしたらパラリンピックに出場できるのかも、と思ったりもした。翌年のリオ大会には間に合わなくても、5年後の東京大会まで頑張れば間に合うかも。

・・・が、現実はそんなに甘くない。練習環境や体調など、かなり課題があることがわかり、翌年は成績を落とした。反面、ライバル達は、元実業団のエリート選手をガイドアスリートとして誘い、レベルをどんどん上げていて差が大きく開いてしまった。

健常者スポーツは、競技の裾野が広ければ広いほど、エリートから初級者まで競技人口が綺麗なコニーデ型の山をしているが、障がい者スポーツは、一部の限られたエリートアスリートがやっているだけで、競技人口は逆三角形を描いている場合が多い。障がい者が、もっと気軽にスポーツに接する機会が増えることで、アスリートの競技レベルが上がり、それを支える人が増え、スポーツ以外でも支え合える社会になるんじゃないか、そんなことを考えながら、自分がアスリートとして東京大会に出場するのではなく、別の形でもいいからパラリンピックに関わり、世の中の役に立ちたい、おぼろげながら、そんな淡い気持ちが芽生えたのが、この頃だった。

横浜大会で優勝した様子は、地元のミニコミ誌が記事にしてくれました。

→ タウンニュース

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