Tsunashima Blog
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人生に失敗はない。あるとすれば、失敗を恐れて、挑戦しないこと。
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東京2020オリンピック・パラリンピック物語 閑話休題 秘密のベールに包まれた選手村

秘密のベールに包まれた選手村

2021年7月13日、とうとうオリンピック選手村がオープンしました。大会組織委員会は「開村」と呼んでいましたが、都心の運河に囲まれた巨大なビル群は、「村」というより、「要塞」と言った方が相応しいほど、厳重な警備体制が敷かれ、秘密のベールに包まれていました。当然のことながら一般開放はしておらず、大会期間中に選手村に滞在する選手たちは、自由にSNSを使って写真や動画を公開していましたが、開村前や閉村後の様子やスタッフ達の裏舞台は、一部のメディア以外、公開されていませんでした。

例えば、セキュリティ体制。選手村がある中央区晴海五丁目一帯は、3方を海に囲まれており、陸路がある東側を南北に通る主要道、環状二号線と晴海通りを封鎖すれば、ほぼ要塞ができあがります。周辺住民にとっては、とても迷惑な話ではありますが、開村1か月前から環状二号線を完全通行止めにし、大きなフェンスで一般道と選手村への出入り口を封鎖、選手を輸送する車に対しては、2段階のセキュリティゲートを作り、海上からの侵入は警察や海上保安庁の巡視船が24時間体制で監視するという厳戒態勢が敷かれました。

徒歩で出入りするスタッフや業者に対しては、顔認証のセキュリティチェックと金属探知機、時には自衛隊による入退検査等、のんびりとした田舎の「村」でも、ディズニーランドの様な夢の国でもなく、日本の国力を駆使して構築された最高セキュリティレベルの要塞だったのです。

とは言え、開村前は工事業者も出入りするし、隣接する清掃工場は稼働していたので、最深部の旧晴海客船ターミナルまでは都バスも運行していました。つまり、ある日を境に、あっという間に厳戒態勢が敷かれたわけではなく、何段階ものプロセスを経て、「開村」に至った訳です。

まずは、インフラや主要部門が先行して入村します。これをバンプインと呼びます。次に、残りの全ての部門が準備のために入村。これをムーブイン。そして全ての準備が整ったことろで、3日間、全員が一旦退去します。これをセキュリティスイープと呼びます。この期間、警備局関係者が全てのエリアをチェックし、爆発物や不審物、不審者が残っていないか確認します。そして安全が確認できたところで、セキュリティ体制が稼働します。これをロックダウンと呼びます。ロックダウン中は、もしセキュリティゲートを通る時に必要なIDカードを忘れてしまうと、絶対に中には入れません。加えてコロナ感染症対策として体温チェックもありました。私自身は、2度目のワクチン接種がロックダウン後で、朝起きた時の体温が37.5℃もあったため、選手村の最寄りの地下鉄駅から入り口前の間にあるコンビニで、冷汗シートを購入し、セキュリティゲートを通る直前で、皮膚温を下げ、なんとか通過をすることができました。

そんな秘密のベールに包まれた選手村では、本当に色々な事件が起きました。スタッフ同士の些細な揉め事から、熱中症で突然倒れたスタッフを監視カメラが発見し、スタッフ無線で救護を求めたり、選手団対応のスタッフたちが夜中に誰もいないロビーで酒盛りし、明け方、ビールの空き缶が見つかって解雇されたり、運河エリアを警備していた警備員が運河に落ちて死亡したり。そんな事件が起きながらも、大会を成功させようと、スタッフは懸命に対応していました。いや、「戦っていた」と表現する方が相応しいと思うくらい、汗と涙と、怒号と歓喜の雄たけびがごちゃ混ぜになっていました。

詳しくは、本編でお伝えするつもりです。お楽しみに。

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