Tsunashima Blog
この記、なんの記、気になる記

人生に失敗はない。あるとすれば、失敗を恐れて、挑戦しないこと。
だからこのブログは、成功談というよりも、失敗談になるハズ・・・

東京2020オリンピック・パラリンピック物語 戸惑い編03

前代未聞の開催延期

組織委員会のオフィスが入居する晴海トリトンスクエアは、選手村の入り口から徒歩5分の場所にあり、周辺にある有明アリーナ等の競技会場も近くに見え、レインボーブリッジや東京タワーも見渡せます。まだ陽の光がビルの窓から斜めに差し込んでいる朝、オフィスに行こうと乗り込んだエレベーターを降り、ホールを通り過ぎる時、何人かの同僚とすれ違いざまに声をかけられました。どうやら、朝一番に所属部署の全員宛にメールが届き、別のフロアーに集合せよとのことのようです。私はまだメールを確認していなかったので、慌てて同僚の後を追って、隣の棟の21階に移動しました。

始業時間の10分前だったにも関わらず、既に殆どのメンバーが集まっており、呑気に談笑していました。つまりこの時の関係者は、「事の重大さ」に気が付いていなかったということになります。予定時間の9時になり、100人以上のメンバーがフロアーに広がって立ちながら、上層部の話に耳を傾けます。すると正式に大会の開催延期が決定したことが伝えられました。多くの同僚が顔を引きつらせながら聞いていると「これから始まる素晴らしいプロジェクトにみんなで一緒に立ち向かおう」という意気込みらしきが語られました。そして誰のアイデアなのかわかりませんが、2リットルのペットボトルに入ったお茶を女性職員に紙コップで準備させて、立ち見のメンバーに配りはじめました。そしてなぜか「乾杯っ!」という音頭がフロアに響き渡りました。なんとなくみんなの不安を取り除こうという意図なのだろうとは感じましたが、124年の歴史を持つ近代オリンピックで初めての「延期」という文字通り前代未聞の経験が、果たして「乾杯」に値するものなのか、あるいは経験を積む前に解雇や雇用契約の終了といった形で、オリンピックを経験することなく去らなければならないかもしれないという、得体のしれぬ不安感が漂っている空気に、「乾杯」の声がかき消されて、いわゆる唱和をする人は、殆どいませんでした。

「乾杯」の掛け声から約50分後、部門長から「一切のプロジェクト作業をフリーズ」というメールが配信され、関係者の電話が一斉に鳴りだします。ただ、なぜかおかしいことに午後になると、電話も鳴りやみ、自然と手持無沙汰な人が多くなりました。その代わり、これからどうなるんだろうか、仕事は?雇用は?という会話が職場に響き渡り、こんなにも脆い組織だったのかと、半分呆れたのを覚えています。

午後2時41分、事務総長から全職員に一斉メールが送られました。それには延期のための本部を早急に立ち上げることが書かれており、「オリンピック史上、初めての経験であり、大変厳しい試練です。世界中でコロナウイルス感染が拡大している中、これを克服して、来年東京にオリンピック・パラリンピックの聖火を灯すことは、私たちの使命であり、世界中の人々にとって希望の光となるでしょう。・・・この試練を乗り越えれば、その苦労の分だけ、達成した時の喜びは大きいと信じます。引き続き、皆様一人一人が熱い思いを持ち、更にご活躍されることを期待しています。」という文で結ばれていました。

前日の夜、自宅で仕事をしていたとき、ふと気になって何気なくつけたテレビの画面の中央に、記者に囲まれた安倍首相が映っており、「遅くとも来年の夏頃まで延期」という表現で取材に答えていました。その真の意味がなんなのか、この時の私には全てを見通せる術は持ち合わせていませんでしたが、これから何が起こるのか、この決断が世の中に何をもたらすのか、じっくりと見極めたいと心に誓いました。

思い起こせば、ギリシャで無観客のまま行われた点火式から受けついだ聖火が、特別機で東北に降り立ったにも関わらず、強風のため、一度消えてしまったというニュースは、何か悪い予感めいたものを感じさせたし、同じ日、松島の空にブルーインパルスが描いた五輪のスモークが強風にかき消されたのも、半世紀前、1964年の東京オリンピックの日に描いたスモークとは真逆に、想像を絶するくらいの向かい風が吹き荒れる予感が漂っていました。

2013年にブエノスアイレスで開催されたIOC総会で「Tokyo」の文字が世界を駆け巡ってから7年もの歳月をかけ、東日本大震災で崩れかけた社会にとっての「灯」だった東京2020が、予定通り開催できないと分かった時の落胆は、大きい期待と比例するように重くのしかかっていました。

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